暑中見舞いといって、しょうもない画像を作ってますね(^^;)
いろんなことがあったようで、ダイジェストとはいえ、かなり拾ってしまいました。二胡をぼちぼち教え始めたのもこの年からです。
9月以降がないのは、データが行方不明のためで、また発掘されたらUPしようと思います。
2009
2008
2007
2006
2005
2004
2003
2002
2001
1/3(木)
 明けまして、おめでとうございます。三が日も過ぎてしまいましたが、皆さまいかがお過ごしだったでしょうか。なるをは「ああ、年賀状書かなきゃな、、、」と頭の片隅で思いつつ、のんべんだらりと過ごしておりました。で、まだ1枚も出していないのですが。ごめんなさい、年賀状を下さった皆さま。
 いえ、決して年賀状を書くのが嫌いな訳じゃないんです。むしろ、毎年非常に張り切って取りかかります。例年よほど忙しくない限り、今時ゴム版画を彫っているといえば、その真摯な姿勢を分かって頂けるでしょうか。それも精緻すぎるあまり、受け取った人が既製品かと勘違いし、気にもとめてもらえないという悲劇も、一度や二度ではありません。
 昨年末もそうでした。今ひとつイマジネーションが湧かなかったので単純な図柄ではありますが、下絵を描き、トレースし、カーボンでなぞり、一気呵成に彫り上げ、明け方までかかって印刷、、、したところで力尽き、今に至っています。<意味ないやん。
 てなわけで、あの、今から出してもいいですか?松の内、お年玉くじの当選番号発表までにはお届けしますんで。っていうか、今年最初の更新が言い訳で始まるって、どうなの。<自分
 本年もよろしくお願い申し上げます!
1/13(日)
 どうもご無沙汰してしまいました。刷り上げただけで結局手つかずの年賀の束を前に、「日本人失格」の思いを噛みしめているなるをです。でもまだ「寒中見舞い」という手があるしね。はは(<乾いた笑い)。というわけで、筆無精を解消することが、今年の主な目標です。
 ぼちぼち演奏などにも出掛けておりますが、目下最大のイベントは、何と言っても1/20の華楽団コンサート。練習も佳境に入って参りました。ここにきて急に、右手が新たな接弦の感覚を得たというか、日毎に音色と音量がが変わってくるのが自分でも分かるので、今は弾くのがおもしろくて仕方がありません。
1/18(金)
 例によってぎりぎりですが、20日に演奏する曲目のうち、なるをの独奏曲「藍花花叙事曲」の紹介ページを作りました。聴きに来てくださる予定の方も、そうでない方も、是非ご覧下さい。なるをがここ3ヶ月近くはまっていた曲です。
 いよいよ明日はリハーサル。ホールは午前中から空いているのですが、全員が揃うのが夕方からなので、本格的リハは5時以降。なので昼間はガンガン練習できます。ホールで音出しができることなどめったにないので、響きを堪能してきます。
1/20(日)
 ついに終わりました。日本華楽団新人コンサート。事前の予想に反して、本当にたくさんのお客様にお越し頂きました。ありがとうございました。
 会場は円形のユニークな形をしており、音の伝わり方などがちょっと変わっていて、前日のリハの段階では、位置決めに随分手間取りました。なかなか定刻に人が揃わず、予定通り進まなかった前日リハと比べ、当日の午前はプログラムに沿ってほぼ順調に進みました。ただ、ライトのためか、室温のためか、揚琴の調弦がどんどんずれてしまい、あっちゃんは最後まで調律にかかりきりで、開演が少々遅れてしまいました。揚琴奏者はほんといつも大変です。
 本番中、というのは意識の状態が普段と違っているのか、終わってから思い出しても、薄皮一枚隔てているようで、うまく言葉になりません。今回はさすがに少々緊張しましたが、緊張がなければ、あの集中力も出ないわけで、コンディションとしては良かったと思います。わたしの山場は前半にあったので、後半はかなり気が楽でした。複数の人に指摘されましたが、アンコールの賽馬はノリノリだったし。いや、あの曲は毎回必ず笑顔になってしまうのですよ。押さえきれず。
 それにしても、一つのコンサートを開くのに、一体どれだけの心血が注がれたことか、と考えます。奏者だけのことではありません。伴奏に入って下さった方々、舞台転換やや受付などスタッフを引き受けてくださったみなさん、指導して下さった先生方、主催の事務局、、、良い人々に囲まれているなあ、と思います、ほんと。来て下さったお客さんも、応援してくれた楽団のみんなも、毎日騒音に耐えている家族(やご近所の人^^;)も、本当にありがとう。もちろん一緒に演奏してくれた、4人のメンバーもね。
 さて、それではなるをは、次の一段を登るため、また足を踏み出さねばなりません。
2/5(火)
 本日、およそ8ヶ月にわたり華夏をご指導くださったスオナーの劉英先生が、帰国の途につかれました。神戸から出る新鑑真号に乗って帰られるということで、コンリン・張両老師を始め、時間の都合のついた幾人かの団員とともに港までお見送りさせて頂きました。入関の所で握手してお別れし、それでも別れ難くみんなしてお見送りデッキまで行って、わざわざ甲板に出てきてくれた老師にちぎれんばかりに手を振り、最後には遠ざかり行く船影が海上にかかるもやの向こうにかすんで見えなくなるまで、見送っておりました。

        孤帆遠影碧空尽          唯見長江天際流

 劉英老師は、若くして中国国家一級演奏家の肩書きを持ち、その豊かな表現力では右に出るものはいないというスオナー奏者で、中国国内どころか世界各国で演奏活動を展開しておられる有名人なのですが、日常的に接していると、そんなすごい人だということは忘れてしまうくらい気さくで親切な方でした。離れた部屋にいても聞こえてくる、管楽器の熱血レッスンと楽しげな笑い声は語りぐさ。
 劉英先生の思いでと言えば、どこぞでの出演前に食事を頂いたとき、劉英先生はオレンジジュースを注文されました。中に入っていた氷は、喫茶店などではよくありますが、一辺が小指の先ほどに凹んでいます。そこにオレンジジュースがたまっているのを見て、「みんゑい(なるをの中国音です)、ごらん。この氷は中にオレンジジュースを入れて凍らせてあったんだよ。」とストローで氷の孔をつつきながらおっしゃいます。「いえ、ちょっと違うと思いますが、、、」と申し上げましたが、ちっとも聞いておらず、「いや、きっとそうだ。」と一人深く納得していらっしゃったり。(お冷やに入っている氷にも孔は空いてますけど。) 帰国日の迫ってきたある日、とある演奏の帰り、ちょうど半月にあと一日というばかりの月を見上げ、子どものような笑顔で振り返って、「みんゑい、あの月が満ちる頃には僕は中国の家で春節を迎えているんだよ。」とおっしゃったり。(でも春節って月初めなので、満月ではなく新月なんですけど。)大層な肩書きと実績に似合わず、何だか純真な方で、そこがまた魅力でした。
 とにかく、このような偉大な演奏家が、うちの楽団を8ヶ月の長きに渡って指導して下さったというのは、本当にありがたいことです。うれしい話ですが、某音楽関係大企業の社長が劉英老師の演奏を聴いて非常に感動し、また近いうち老師を招聘して演奏会を開催するかもしれないそうです。そうなったらいいな〜!もし実現の運びになれば、このページでもこっちのページでもお知らせ致しますので、もしまだ演奏を聴いたことがないと言う方は是非一度、だまされたと思って聴いてみてくださいね。あまりのすごさにびっくりするから! 
2/11(月)
 とある春節パーティーに参加してきました。ホテルの広間で行われた結構盛大なものでしたが、「乾杯〜!」とグラスを合わせたその瞬間、「ジャジャジャジャ〜ン♪」とベートーベンの『運命』がかかり、思わず杯を取り落としそうになりました。新鮮でした。
2/14(木) なるをのレベルが1上がった。立ち弾きを覚えた。
 笛子二本と二胡一本で、「こぶたぬきつねこ」を練習。笛子二人は立って演奏するのに、二胡一人座っているのもさみしいので、腰のベルトを思いっきりゆるめて、隙間に二胡を挟んでみました。いけるじゃないか。なるをが立ち弾きデビューする日も、そう遠くはないかもしれません。
 なるをのその姿を見た張老師が、あっちゃんにもしきりに立ち弾き揚琴を勧めていました。北京では可動式電子揚琴なるものが発明されており、舞台を縦横に移動しながら演奏できるうえ、古琴や古箏など、様々な楽器の音色も出せるそうです。それならシンセサイザーでいいのでは?というツッコミは、日本語だけにしておきました。「絶対若者に受ける。保証するよ。ひとつオーダーしてあげよう!」と真剣な顔であっちゃんを説得にかかった老師。電子揚琴奏者あっちゃんがデビューする日も、そう遠くはないかも知れません。みんな、応援してあげてね!
2/23(土)
 お久しぶりです。胃のあたりが何だかおかしいので、食中りかと思っていたら、どうも流感だったようで、しばらく熱でへろへろしていたなるをです。といってもなるをの風邪というのは大抵、急に熱が上がったかと思うと、瞬く間に下がっていくというタイプで、今回も一昼夜で完治してしまいましたが。東京行くまでに直ってよかった。
 そう、明日から東京に行きます。24日の中国民族楽団と、25日の馬向華を聴いてきます。明日は京都で演奏してから駆けつけるので、時間的にかなりやばそうなのですが、もし明日お台場で中国民族楽団をお聞きになる方がいらっしゃいましたら、五弁の花のシールを真ん中に貼った赤っぽい二胡ケースを担ぎ、キャリーバッグを引きずりながら息を切らして客席に駆け込んできた人間を見かけたら、すなわちそれがわたしですので、水の一杯でも恵んでやってください。
 で、23日の今日は、出張中のコンリン老師の代理で京都の教室に行ってきました。今日は12人の生徒さんが来ていらっしゃったのですが、半分ずつに分かれて弾いてもらうのに、「じゃあ8人ずつですね」とか言って算数のできないことを暴露して参りました。、、、ネタのつもりでしたが、書いてみると本気で恥ずかしいですね。
3/3(日)
 香港出張中のコン老師に代わり、加古川教室でグループレッスン。以前のミニコンサートなどで顔見知りの方もおり、雛あられなど頂きつつなごやかに進みました。レッスンも終わりに近づいた頃、ある奥様が「先生は、、、中国の方?」いや、最初に「なるをです」って自己紹介したやん。「でも、イントネーションがなんとなく、ねえ」。。。わたし自分では生粋の関西弁をしゃべってるつもりなんですけど!二十歳すぎまで、国外には一歩も出たことなかったんですけど!何がそんなに変ですか?実は初めて言われたのではなかったりするので、さすがにちょっと気になってきた。
3/14(木)
 夕刻、所用有りて京都に赴く。帰途、御所の傍を通るに、ここに他より早く咲ける桜あるを思い出だし、見に行かんと欲す。風すでに寒さの片鱗も留めぬ、空気も薄蒼き夕暮れなり。果たせるかな、御所の北辺に植わる枝垂れ桜の、はや綻びたるあり。薄暮に暗く沈む枝に、未だ紅濃きつぼみ、そして白々とほのかに明るく見ゆるは、漸く咲き初めた花。
 今年も又、桜の時期の廻り来たるなり。ここ暫くの何かと忙しく、雑事に紛れてさほど桜花を恋しがりしつもりはあらねども、かふして再び廻り逢ひし花を見れば、眼潤むを禁じ得ず。瀧の如く流れ落ちる枝に、数知れぬつぼみの開花を待つ様、世に咲く花は多かれど、かくばかり奇跡の様な花を、我他に知らず。 一春の花を見れば、一春の思ひ積み重なり、花恋しき心、年々募り行く心地す。
 梢に花を見し日より心は身にも添はずなりにきの歌、我知らず思ひ出されけり。
4/25(木)
 最近、女性のファッションとして、緩く余裕を持たせて巻くタイプのベルトが流行しているようで、ウィンドウなどにもよくディスプレイされています。あれ、結構いいと思うんですよね。何って、二胡の立ち弾きに。緩く巻いたベルトとお腹の間に二胡をはさめば立ち弾きできることは実験済み。後はデザインがなあ、、、と思っていたところに、この流行。これは使える。ということで、この間お店に入って物色してきました。
 手ごろそうなのを手に取り、ためつすがめつしていると、店員さんがやってきます。
「どのようなものをお探しですか?」
「二胡がはさめるタイプのものを、、、」とは言えるはずもなく、「う〜ん」と考えるそぶりをしてごまかします。
「二重に巻くタイプのものもかわいいですよ。」
「なるほど。(二重じゃちょっと使えないんだよなあ)」
「お客様ですと、この細身のなんかいかがですか。」
「どれどれ。(しかし細いと強度が心配です)」
「この色だと今日のお洋服にも合いますね。」
「ほんとですね。(でも演奏衣装とは合わないかも)」
いろいろ勧めてくれる親切な店員さんとはまったくかけ離れた観点から選んだベルトを2,3試着してみましたが、どうもピンと来ず、結局何も買わずに出てきました。でも、この流行が過ぎないうちに、ひとつくらいは買っとかなきゃね。
5/26(日)
 あっちゃんといつもの如く船上演奏。ロビーでの演奏に加え、たいてい何部屋か回るので、そのたびに揚琴をケースに入れて運び、また出してセッティングする、という手順を繰り返します。そのおかげで、最近の我々の揚琴セッティングのすばやさと来たら!洗練されて無駄な動きの省かれた、流れるような一連の動作は、自分達ながらまったく惚れ惚れするほどです。
 揚琴の先生が言ってましたが、中国でも揚琴奏者の次に揚琴の扱いに慣れているのは、二胡奏者なのだそうです。伴奏してもらわないと弾けないから、いつも組んでるので、自然とそうなるらしい。
5/29(水)
 演奏のはしごをしました。3:30に松原市での演奏を終え、5:00には新神戸で次の演奏を開始、という無謀なスケジュール。演奏の中身より間に合うかどうかで緊張しましたが、際どいところで滑り込みました。やれやれ。
 この日のなるをの出で立ちは、巻きスカートの下にスパッツ、サンダル履きという格好だったのですが、しまったな、と思ったのは、肩には二胡と高胡、手には打楽器の袋、もう一方にはキャリーケース、そしてそこに揚琴の脚をくくりつけた有様が、どう見ても絡げた裾から股引きと草鞋が覗く旅芸人にしか見えないことでした。
6/8(土)
 森林王国なるところに行ってきました。すなわち、兵庫県宍粟郡波賀町、鮎を釣る人の姿が見える清流と、緑なす山並みに囲まれた町です。町役場のロビーで演奏と聞いていたので、愛想のない灰色の建物を想像していたのですが、予想は完全に裏切られました。
    
左:波賀町町役場外観(真ん中に小さくあっちゃんの後姿が写ってるんですが、分からないだろうなぁ、、、)
右:吹き抜けの天井。4本の巨大な丸太の柱が、建物全体を支えています。

到着してすぐに、森林王国の総理大臣なる方にじきじきに建物を案内していただいたのですが、いずれの部屋も、およそ役所らしからぬほのぼのとした雰囲気に溢れていました。議場にも入れてもらって、議長席に座って写真も撮った。
 演奏は、定番の合奏曲に加え、二胡、揚琴、笛子のソロ、日本の曲など。最後には例によって、馬のいななきを吹き抜け天井に響かせて帰ってきました。
6/11(火)  なるを 手鼓デビュー
 手鼓というのはウィグル生まれ打楽器で、二胡が5本くらいとれそうな大きな蛇革をぜいたくに張った、タンバリンの親戚のような形をしています。うちの楽団にあるそれは、打楽器奏者でもあるあっちゃんの宝物です。そして、なるをが隙あらば敲こうと狙っている楽器でもあります。今日の小学校公演でのあっちゃんの揚琴ソロが、ウィグルの曲だったので、チャンスとばかりに手鼓デビューを決行しました。自分のソロより緊張したかも。あっちゃんの不興をこうむると、二度と触らせてもらえないかもしれませんもの。賽馬ではやりすぎなくらいの笑顔をふりまくなるをですが、この時ばかりはさすがに顔が素になってました。終演後、あっちゃんから「リハより本番のほうがよかったね」とのお言葉を頂戴し、心の中でガッツポーズ。
 この日の小学校というのは、奇しくもいつかの風船の少女が通っている学校で、父兄席にはお母様もいらっしゃいました。わたしのこと「風船くれた人」として覚えててくれたそうです。ちょっと心慰められた気分。
7/12(金)
 2,3日前から蝉の声が聞こえ出しました。梅雨もそろそろ終わりですかね。本日は和歌山の中学校にて、9人体制で90分の公演。
 あ、暑かった。学校側が気を使って舞台の両袖から扇風機を回してくれたんですが、それでも汗が流れるほど。途中、生徒があまりの暑さに倒れるは、一陣の涼風を期待して開け放たれた扉からは、涼風ではなく鳩が飛び込んでくるは、、、その度に会場は浮き足立つし。集中力?それってどこの世界の言葉?という感じでした。
 とはいえ、今回は人数も多く、また90分という比較的長いプログラムだったので、新曲をいくつか出すことができました。打楽器のみのアンサンブルもやった。なるをも中国シンバルたたきました。ちょっと演奏しながら耳が痛いですが、大音声で打ち鳴らすのは気分爽快。また皆様に聴いていただく機会もあるでしょう。
 暑さにやられて脳みそのネジのとんだなるをの今日のその後は、切手を貼らずに手紙を投函したり、鍵や携帯電話を入れたポーチを忘れかけたり、レジでお金を払った直後に卵を割ったり、結構さんざんでした。。。誰だ、普段と変わらんとか言う奴は。
7/17(水)
 琵琶湖畔のホテルのイベントにて演奏。待ち時間に笛子を吹くQu-di氏。目の端に何やらうごめくものが、と思ったら。
 Qu-diさんに向かって果敢に斧を振り上げるちびかまきり。なぜこんなところに?
8月のまとめ
3(土)  
 大阪国際会議場で行われた芸能見本市に出演。いろんな団体があるんだなあ。
9(金)
 岡山の相楽園で、野外ステージ。演奏は夜でしたがリハが炎天下。この夏一番の暑い思い出。
10(土) 
 吹田メイシアター小ホールで、ワールドミュージックシリーズ「東洋の美音」。MCもなるをが担当。終演後、会場の関係者から、「いやあ、すごくよかったですよ!司会。」.......何か馬のいななきをほめられるより切ないんですが。
11(日)
 豊岡で、現地で出土した銅鏡に関するセミナーの一環で演奏。3日連続演奏終了してこれより夏休みモード。
18(土)
 華夏創設の立役者の一人、故宮脇会長を偲ぶ会にて、二泉映月を演奏。最後の発表会でこの曲を渾身の力を込めて弾いた彼の姿を思い出します。
26(月)
 事務所に行ったら、コンリン先生を取材中のNHK撮影班が来てました。き、聞いてない!カメラに向かってなんかしゃべった気がしますが、何言ったかあんまし覚えていない。
27(火)
 友達んちで赤ん坊を見学した後、京都でレッスン。帰りに和小物店で「火打石」を買ってしまった。10回に1回くらいしか火花が出ません。


、、、開設一周年を前に、ますます手抜き度が上がっていくような。。。
求道録 2002年版 ダイジェスト