8/7(火) 今日から5日連続で、奈良の老舗旅館菊水楼で演奏します。菊水楼は春日大社の鳥居の前にあり、築120年、今年6月に国の有形文化財に指定された名旅館です。ちょうど奈良公演で燈火会という催しが開かれており、二胡の音色を聴いた後お料理を食し、その後燈火会を見物というツアーが組まれているのです。演奏は二胡のソロで30分×2、高胡、二胡、低音二胡を三本とも持っていき、「鳥」や「馬」の他に「二泉」や「草原情歌」、日本の童謡などを弾きました。少し時間をオーバーしてしまった。 帰るとき、荷物が重いので、楽器とトランクは置かせてもらうことにしました。わたしなどには到底縁のない高級旅館の一室に、胡琴達は連泊です。 |
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8/9(水) 菊水楼3日目。演奏は夕方からなので、昼間国立博物館に行ってきました。先に常設展を見、次の特別展会場へ向かう途中、間にあるミュージアムグッズの販売所でひっかかり、そのままタイムアウト。特別展はあきらめて慌てて菊水楼に向かいました。 MCで「燈火かい」がど〜たらとしゃべっていたら、お客さんにあれは「燈火え」と読むのだと教わりました。 演奏が終わってから燈火会見物に行きました。入り口付近の売店で、小さいけど本物の提灯なんか売ってるんですよね。わたしにはその魅力に逆らうことなどできません。いそいそと一つ買い求め、火を入れてもらったのを携えて会場に足を踏み入れます。いくつかある会場のうち、浅茅が原へと向かいました。 いやぁ、「燈火会」初めて見ましたが、黒い林の向こうに何千というろうそくの炎がゆらゆらと広がるさまには思わず息を飲みます。死後の世界もかくやという雰囲気。美しいものです。すっかりうれしくなったわたしは提灯があるのを強みに、近道をしようと林の中を突っ切って行くことにしました。しかし、わたしは忘れていた。この日のいでたちが足首まで届く白いワンピースだったことを。白い長い服を着て、腰までの長い髪を垂らし、提灯を手に、一人暗い林の中を抜けていくその姿は、さぞや見る人の心胆を寒からしめたことでしょう。現に行き会ったカップルはかなりびびっていらっしゃった。 もしまた燈火会を見に行く機会があっても、白い服は着て行くまいと誓いました。 |
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8/14(火) 昨夜三宮を車で出発し、早朝に新潟妙高高原に到着。ペンション“カナディアン・ハウス”で演奏するためです。14日はインド音楽の演奏、わたしと揚琴のあっちゃんの出番は15日になります。 到着してすぐ、わたしの目を輝かせたのは、ハンモック!演奏会場となるテラスと芝生の境目辺りに、大きなハンモックが揺れています。さっそくよじ登り、あっちゃんが調律をしている間、わたしは昼寝を決め込みました。(揚琴は弦が多いので、特に車で運んだときなど調律に30分以上かかるのです。その点二胡は楽だね。)ああ、なんたる幸せ。年来の夢がこうして一つかなったわけです。 夕方、食事をいただいた後、インド音楽の演奏を聴きました。バーンスリー(横笛)、タブラ(打楽器)、タンブーラ(撥弦楽器)+自動タンブーラ(箱から音が出てた)という構成。びっくりしたんですが、1時間切れ目なしのノンストップ。次々と変化するので飽きることがありません。基本的に全部即興なんだそうです。 夜、わたしの髪の長さを見かねたあっちゃんに、10pほど切りそろえてもらいました。散髪代が浮いた。らっき〜。 |
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8/15(水) 今日も引き続き妙高高原で自然を満喫。昼間テラスで練習をしていた時、ばきばきと音がしたので目をやると、なんと庭の端にある一本の白樺がゆっくり倒れて行くところでした。樹の最後を初めて目にした。倒れたあとに近寄ると、むせ返るようなにおい。樹のにおいかな。それとも土のにおいか。巣くっていたシロアリが慌てふためきながらたまごを運び出したり、他の種類のアリがどさくさに紛れてそれを強奪したりする様子をしばらく観察しました。 また、インド音楽の方々が練習している時通りすがった蛇を、ペンションのマスターが掴まえたので、触らせてもらいました。二胡に張るには少し細いか。(張れないって。) 夕方から演奏を始めましたが、屋根はあるものの野外なのでいろんな虫が乱入してきます。途中、おや揚琴の上に枯れ葉が落ちてるなあと思っていたら、あっちゃんが「これ、蛾なんだけど、、、」。マスターが追い払おうとするのを「いえ、おもしろいのでこのままで。」と言うとあっちゃんが泣きそうな顔をしたので、やはり追い払ってもらいました。まったく見事な擬態であった。 演奏はくつろいだ雰囲気の中、楽しく進みました。わたしの作った曲にあっちゃんが伴奏を付けてくれたのも披露させていただきました。題して「窓の外の空」という。また演奏する機会があればいいなあ。 夜中、誰もいないテラスのハンモックで星を眺めつつ涼んでいたら、そのまま寝てしまった。(目が覚めて部屋に戻ったけど)。明日にはこのハンモックともお別れか。 |
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8/25(土) なるをのレベルが1あがった。地図が読めるようになった。 園田の練習場へ行ってオケ練に参加。それも途中で抜けて、今度は揚琴あっちゃんとともに車で枚方のとある夏祭り会場へと向かいます。 いつものごとく助手席に座り、地図を持たされるわたし。普段なら単なる地図持ち役として、言われたページをあっちゃんに差し出すだけですが、今日はひと味違いました。自分のいる場所が地図の上でちゃんと分かったのです。車の走っている場所を指でしっかり押さえながら(外すと二度と分からなくなるので)、「おおTOYOTAだ!次は吉野屋が、、、わあ、ほんとにあった!すごい!地図通りだねえ。」と新たな世界の認識法を手に入れ感心しきりのわたしに、あっちゃんは地図読み力LEVEL2への昇格を認めてくれました。 夏祭りでは子どもが主役という感じだったので、みんなが知ってそうな曲を中心に演奏しました。「空山鳥語」をやったら小さい男の子がなんだか踊ってくれた。MCは「みんな、中国語でこんにちはってどういうか知ってるかな〜?それじゃみんなでせ〜の!」とかいう妙なハイテンションで始終しました。 帰りは暗くなっていたので方向音痴全開、結局LEVEL2からの発展は見られず。次もがんばるぞ。 |
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9/7(金) 朝、だし巻きたまごがスクランブルエッグに成り代わるのを阻止せんと奮闘している間に、めざしが炭と化しました。 今日は電車に乗り間違うことはなかった。しかし乗換駅のキオスクでコーヒー牛乳を注文し、蓋を開けてもらったとたん電車が入ってきたので、4秒で飲み干しました。味も分からず残念であった。 今日は何やら弓がゆるい感じでした。今まで気にしたことはなかったけど、雨の日は馬のしっぽが湿気で伸びるのだろうか。 |
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9/9(日)、10(月) 天見の旅館、南天苑で演奏がありました。 実は今回の企画をお世話してくれたIさんから、「なるを晴れ女説」なるものが浮上しておりました。というのも、5月に演奏に行ったときも、8月に今回の打ち合わせに行ったときも、きわどいところで直前まで降っていた雨があがったからです。まあ冗談の類にしても、今回も晴れたらいいなあ、と淡い期待は持っていたのです。 が、見事台風上陸、日本縦断。9日午前中には眩しいくらい晴れ渡っていた秋空が、南天苑に着いた頃にはすっかりかき曇り、その日は何とかもったものの次の日はひたすら雨。夜半帰る間際になってやっと上がりました。なるを、お天気なのは頭の中だけだったようです。「晴れ女」の称号は返上だな、と思ったら、すぐ横に原因がおりました。あっちゃんは名うての「雨女」だそうです。ま、まけた。 二胡を握っていると、湿度の変化はとても分かりやすい。湿度が高いと二胡の竿が汗をかいたときのように全然滑らなくなるのです。まさか二胡に制汗パウダーをほどこすわけにもいくまいしな。音も普段とは随分違っていた。揚琴はやはり湿気のせいで、昼の演奏がすんでから夜の演奏までの5時間ほどの間にひどく音が狂って、調弦に苦労してました。 10日の帰りは大分夜が遅かったのですが、わたしはあまりの眠たさに意識を失っておりまして(というかつまり寝ていた)、運転するあっちゃんのためにナビを務めるどころか、地図持ち役すら果たせませんでした。 |
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9/23(日) 時々ふと二胡の練習というのは禅に似ているのではないか、と思うことがあります。開放弦をひたすら弾いている時の精神状態など、起きているでもなく、眠っているのでもなく、ただ同じ太さの音が切れ目なく続くことだけに意識を集中します。かつての師は弓が弦に接する部分について、まるでΩの形のように弓が弦に深く食い込むような感覚がある、とおっしゃいました。これなどほとんど公案です。不肖の弟子は今もってこの問いを解くことができません。まあ禅についてはちっとも知らないので、単なる空想に過ぎないのですが。「胡琴求道録」というコンテンツのタイトルもそういう着想からきているのですよ、ほんとは。会得しかけたと思ってはまた振り出しに戻る二胡修行の玄妙なる境地を、日々少しずつでも書き記さんという。始めからいきなり路線を間違って、ほとんど「あっちゃんとなるをのズッコケ珍道中」みたいになっていますが。今さら軌道を修正するのは無理ですかね?已矣乎。 |
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10/1(月)
今夜の神戸はもったいないくらいのよい月夜です。冴え渡った満月を見ると、2年前北京で見た月を思い出します。建国50周年の国慶節を祝して、オーケストラ華夏として北京で演奏したのが、ちょうど仲秋の名月の頃でした。わたしはそれまで月は黄色いものだと信じており、「銀の月」などという表現は単なるレトリックだろうと考えていたのです。ところが大気中の水蒸気が少ないためなのでしょう、北京の月は凍ったように冴え冴えとした銀色なのでした。 考えれば、たとえ人生をまっとうしたとしても、仲秋の名月を拝めるのは数十回がいいところ、まして今夜のような申し分のない名月に出会う回数は、もっと少ないに違いありません。今宵は窓を開け放ち、飽きるまでじっくり眺めようと思います。 |
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10/8(月) 連日肩に二胡・高胡をひっ担ぎ、手には演奏用具一式入ったトランクを引きずりながら、駅まで猛ダッシュしたり、駅の階段を走り下りまた駆け上がりしているもので、さしもの頑健なわたしも少々バテぎみの今日この頃。というか、もう少しだけ早く家をでれば、何の問題もないんですが。 今日もあっちゃんと船上演奏。明石海峡大橋が淡く煙っておりました。雨が近づいているのかな。 |
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10/29(月) 実は珍しい仕事を引き受けまして、このHPの演奏ご依頼ページから初めて頂いた依頼なのですが、宇宙関係シンポジウムのパネルディスカッション(爆)。なぜこのような成り行きになったのかよくわかりませんが、何でもこのサイトをご覧になり、二胡に対する真摯な姿勢に打たれたからだそうで、、、。しんし?このページ見て?、、、えっと。いや、その、ありがたい限りです。というわけで、担当の方が事務所にお見えになり、説明を頂いた後、会場の下見へ。偶然にも、うちの事務所から歩いて5分のビルの中でした。それにしても、いくら宇宙に対する素人の素直な感性を期待されているとはいえ、素人にも限度が。 |
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11/19(月) 目覚ましをかけていたのにも関わらず、危うく寝過ごすところでした、獅子座流星群。しかし、お互い認めたがらないものの、こういったイベントは絶対外さない、という点で明らかにわたしと性格を同じくする母親が、「始まったよっ!」と弾んだ声で起こしに来てくれました。二階の窓から出て、一階の屋根のてっぺんにしがみついてしばらく見ていましたが、傾斜が急で落ち着かず、「獅子座流星群を観測していた女性、屋根から落ちて重傷」とかいう新聞の見出しが容易に想像できるようになったので、「こっちもよく見える」という母の情報に従って、ベランダへ移動。立ったまま見上げていましたが、どうにも首が痛くなったので、山岳部であった親父殿の古いシュラフを持ち出して、流星観測の基本通り、仰向けに寝ころんで鑑賞しました。 ひっきりなしでしたねえ、本当に。2,3年前に騒がれたときも、学校の校庭に横たわって夜を明かしましたが、あのときとは比べものにならない。3つくらい同時に流れたり、ゴーッと音がするかと思うほど大きいのが降ったり。最初のうちは反射的に願い事を思い浮かべたりしましたが、あんまり降ってくるのでそのうちあほくさくなってやめてしまいました。あとで知ったところでは「火球」というらしいですが、際だって大きく明るいものだと、十数秒くらい尾が残って見えるのです。星が流れる間に願い事を3回言うなんて、所詮不可能なことだと思っていましたが、こんなだと10回くらい余裕で言えます。 晴れていて月もない夜で、ほんとに良いコンディションでした。2時間くらい見上げていたかな。新聞やニュースでは100年に一度とか数百年に一度とか言われていますが、ということはもう二度と見られないのかなあ。流星群の過ぎ去った静かな夜空を眺めていると、ああして数え切れぬ星が流れ落ちた夜があったということが、まるで嘘のように思えます。 |
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11/22(金) 梅田から事務所に向かう途中、昨日開店したてのヨドバシカメラの横を通ったので、ちらっと見物しに入りました。「comsa store」の入り口で、白い風船が配られており、熱い視線を送った甲斐あって、わたしも一つもらうことができました。5秒ほど店内を見渡した後、すぐ外に出て、事務所へ急ぎます。道すがら、わたしの手にした風船を見上げる子ども達と目を合わせぬようにして歩いてきたのに、事務所のドアを開けると、そこには二胡レッスンを受ける母親に連れられてきた、小学校低学年とおぼしき可愛らしい女の子が。(事務所はレッスン場も兼ねているのです。)意を決し、涙を呑んで「これ、どうぞ。」と風船を手渡したところ、彼女は一応笑顔で受け取ったものの、「持って歩くの、ちょっと恥ずかしいなあ。」と明らかに困惑ぎみだったので、返してもらった。今時の子どもは、わたしよりずっと大人です。 恥ずかしい風船を二胡ケースにくくりつけて、午後は神戸のコンチェルト号へと向かいます。今日の相方はQu笛さん。Qu笛さんはコンチェルト初めてだったのに、練習もせずいきなりぶっつけで、大分どきどきさせてしまったことと思います。ごめんね。でもうまくいったので、没問題。 本日のお客さんの中に、昨年弓削牧場で演奏を聴いて下さった方がおられ、声をかけていただきました。そういえば前にも一人、わたしの演奏を聴いたことがあるという人が乗り合わせていたな。さすが地元。 |
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「胡琴篇」が開篇したのは2001年、夏。 同居していた親に怒られつつも、ダイヤルアップ回線でがんばっていました。さすがに開設当初とあって、張り切ってますね〜。 「求道録」の更新頻度が一番高かったころの記録です。 |
求道録 2001年版 ダイジェスト |